※この記事は、前回の「できる子になれば、“私”を許せると思ってた。」の続きです。
「私なんか、ダメなんだ」
ずっと、そんなふうに思ってた。
📍自信のなさは、劣等感から始まった
幼い頃から、私は「ちゃんとできていない自分」に罪悪感があった。
▶関連記事:“自信がない”って、いつから思い込んだんだろう?
「声が出せない自分」「人前で動けない自分」「登校できなかった自分」。
そういう“できない自分”を否定して、
私は“劣等感”をずっと心の中で握りしめてきた。
🛡その劣等感を、努力で黙らせた
努力して、成果を出せば、少しは肯定される。
それが「私がここにいていい理由」になる。
▶関連記事:比べていたのは“誰か”じゃなかった。私が罪悪感でつくり出した“理想の世間”だった。
テストの点数、表彰、賞状…
全部「私は大丈夫」って証明するために必要だった。
でも、それは「認められたかった」んじゃなくて、
「バレないように」するための必死の防衛だったのかもしれない。
「次はできないかも」「これはまぐれ」
そうやって、努力はずっと更新し続けないといけなかった。
それは、しんどかった。ほんとうに。
🌱でも今は、少しだけ違う
今日、私は考課面談で自分のことを話せた。
怖かったけど、責められなかった。
もしかしたら一番厳しいのは、他でもない“自分自身”だったのかもしれない。
💬今でも自信はない。でも、それでも進める
私は今でも、自分に「ダメだよね」って言ってしまう。
自信がないのは、誰かのせいじゃなくて、自分でそう決めつけてきたから。
でも、それに気づけた今は、もう少し優しくできるかもしれない。
劣等感も、自己否定も、まだ完全に消えたわけじゃない。
でも私は、それらと共存しながら、生きていけるようになってきた。
💎それも、私の“うろこ”の一つだから
頑張ってきた過去も、ずっと抱えてきた劣等感も、
ぜんぶ含めて私。
だから私は、これからも書いていく。
私という人間の記録として、そして、
誰かが自分の「うろこ」と向き合うヒントになるように。
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