できる子になれば、“私”を許せると思ってた。

“自信”と私

※この記事は、前回の「評価されるたび、私は「こんなの本当の私じゃない」と思っていた。」の続きです。

不登校だった過去を「取り戻さなきゃ」って思って、私は勉強にすがった。

本当はしんどいこともあったけど、
“できない自分”でいるのが、なにより怖かった。

 

🧠 テストの点数が、私の存在証明だった

学校に行けなかった自分が、どこまでできるのか。

「普通」にすら届いていないって、自分で勝手に思い込んでいた私は、
テストでいい点数を取ることで、「普通以上」を証明しようとしてた。

そして、テストの点数や順位って、誰からも否定されない。

だからこそ、低い点数を取るのが怖かった。

いい点を取れば、少しだけ安心できる。
でもそれもほんの一瞬。
すぐに、「次もやらなきゃ」ってプレッシャーになる。

いつの間にか、“いい点を取る私”が当たり前になっていって、
それを保つために、気を抜けなくなっていた。

 

🌀 「できなくなるのが怖い」から、やり続けるしかなかった

誰かから期待されていたわけじゃない。
でも、自分の中で「手を抜いたら終わり」って思ってた。

努力をやめたら、またダメな自分に戻ってしまう気がして、
頑張ることをやめるのが、すごく怖かった。

適度な力の抜き方なんて、分からなかった。

常に100%でいないと、自分が自分でいられない気がした。

 

💔 それでも私は「中身がない」って思ってた

私は勉強ができるわけじゃない。
ただ、“点数の取り方”が分かっていただけ。

テストの知識なんて、すぐ忘れるし、
誰かの役に立つわけでもない。

点数を取っても、自分の中身は空っぽのままだった。

どれだけ表彰されても、褒められても、
それを「自分の力」とは思えなかった。

 

🌙 “頑張る”ことが、自分を守る盾になっていた

私にとって、努力は「自分の存在価値を保つためのもの」だった。

頑張らないと、自分が空っぽであることがバレてしまう。

努力を重ねることでしか、自分を認められなかった。

「できる子」にならなきゃ、私は私を許せなかった。

でも、本当は——

自分を許すことを、自分に禁じていたのは私自身だった。

無理して頑張り続けるのが苦しいのは、
どこまで行っても、「私はダメだ」って思ってる自分がいるからだったんだ。

▶︎次回の記事:「私は“劣等感”を、努力で黙らせてきた
(公開準備中です。しばらくお待ちください。)

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