※この記事は、前回の「比べていたのは“誰か”じゃなかった。私が罪悪感でつくり出した“理想の世間”だった。」の続きです。
高校に入ってから、私は“頑張ること”を選んだ。
努力して、成績を上げて、
大学では成績優秀者として表彰されたこともあった。
だけど——
そのたびに、私は「これは本当の私じゃない」って思ってた。
🏅表彰されても、嬉しくなかった
みんなが「すごいね」と褒めてくれる。
表彰状も、実績もちゃんとある。
でも私は、心のどこかで
「そんなに中身は伴ってない」って思っていた。
むしろ、誇らしさよりもプレッシャーの方が大きかった。
「こんなに褒められるような人間じゃない」
「バレたらどうしよう」
——いつか幻滅されることが、怖かった。
🎭“できるふり”の仮面を被ったまま
賞を取ったのは、結果だけ。
たまたま運が良かっただけ。
そうやって、どれだけ頑張っても、
自分の努力を肯定することができなかった。
自信がつくどころか、
「期待されること」自体が苦しくなっていった。
🧱自分の価値を、外の評価に預けすぎていた
自分の存在価値を、「実績」で埋めようとしてた。
でも、どんなに実績を積んでも、
どんなにすごいって言われても、
内側はちっとも満たされなかった。
「自分を認める気がないうちは、
どんなに評価されても苦しい」って、
あの頃の私は知らなかった。
🕯本当は、ずっと不安だっただけ
「頑張らないと存在できない」
「誰かに認められないと価値がない」
そんなふうに信じ込んで、
ずっと自分に鞭打ってきた。
でも本当は、不安だっただけ。
自分を信じる方法を、知らなかっただけなんだ。
▶︎次回の記事:「できる子になれば、“私”を許せると思ってた。」
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