※この記事は、前回の「学級委員になった日、私は“自信を持たない”ことを決めた」の続きです。
「学校に行けなかった」
それが、私の中では**「普通以下」のレッテル**だった。
皆みたいにちゃんと通えていない。
それだけで私は「遅れてる」「劣ってる」って思い込んでた。
当時はそれを疑いもしなかったけど、
今ふりかえると、私が比べていたのは“誰か”じゃなかった。
「こうあるべき」っていう、**自分の想像でつくり上げた「理想の世間」**だった。
🌀不登校の私は、「普通以下」だと信じてた
小学生の頃から学校に行けないことが多くて、
中学ではほとんど登校していなかった。
そんな自分を、私は「普通じゃない」と感じてた。
誰かにそう言われたわけじゃないのに、
勝手にそう思い込んで、勝手に自分を責めてた。
🔍比べていたのは、“誰か”じゃなかった
今思えば、私は他の子と比べていたんじゃなかった。
比べていたのは、“理想の世間”。
「学校に通うのが普通」「勉強はできて当たり前」
そんな、私自身が罪悪感から作り出した虚像だった。
そして、その“普通”から外れている自分を、
「ダメな存在」だとずっと思い込んでた。
📘だから私は、“勉強”にすがった
高校に入ってから、私は必死で勉強した。
一日でも早く皆に追いつきたかった。
「普通」に戻れる気がしたから。
それに、テストの点数や順位って、
誰からも否定されない“証明”になる。
やればできる。
そう思いたくて、そう思ってもらいたくて、
私は“頑張ること”を選んだ。
🎭でも、自信にはならなかった
頑張っても、どれだけ結果を出しても、
心の奥にはいつも「それでも足りない」が残った。
どんなに表彰されても、褒められても、
「いや、たまたまだから」「中身が伴ってないから」って
自分で全部、打ち消してしまう。
それは、“自信がない”というより、
“自信を持たない”ようにしていたんだと思う。
🌱今、やっと気づけたこと
私がずっと比べてきた相手は、
他人でも、親でも、クラスメイトでもなかった。
比べていたのは、「こうあるべき」っていう幻。
そしてその幻を作り出していたのは、他でもない“私自身”だった。
▶︎次回の記事:「評価されるたび、私は「こんなの”本当の私”じゃない」と思っていた。」
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