“学者”なのに納得できない——私が“子供タイプ”を受け入れるまで

心の記録

🌀 診断結果に戸惑った、最初の自分

魅力タイプ診断を受けたとき、私の結果は——
1位「学者タイプ」、2位「子供タイプ」。

この二つ、実は真逆のエネルギーなんだって。
どっちかが「本来の魅力」、もう一方が「社会に適応するために身につけた魅力」なんだそう。

私にはどっちも「ある」感覚があった。
でも、どこかで——
「学者でありたい自分」は、**理想を押しつけた“努力の結晶”**だった気もする。
自分を守るために、作ってきた鎧のような魅力だったのかもしれない。

🧠 確かに私は“学者タイプ”っぽい

内省するし、言葉に慎重だし、深く考えてから話す。
ストレングスファインダーも
「共感性」「内省」「慎重さ」「公平性」「調和性」。

まさに、思考と言葉の整合性を重んじる学者っぽさ。

でも、どこかでそれを「ちゃんとしてなきゃ」って思いながらやってきた自分もいた。

🎨 “子供タイプ”の人たちが苦手だった

子供タイプのアサギストたちは、絵文字だらけで
「きゃっ♡」「すきー♡」ってきらきらの表現を惜しみなく使う。
感情をそのまま発信して、自由で、予測不能。

私は、その輪に入ることすら怖かった。
自分とはまるで違う世界の人たちに見えた。

でも、その“自由さ”や“突き抜け感”に、どこかで憧れもあった。

🌈 でも「心が動く瞬間」は、私にもあった

虹の入った水晶、やわらかい月の光、美しい音楽、心が震える一瞬——
そのたびに私は、「この瞬間のために生きてる」と感じていた。

それは、まさに子供タイプの根っこにある“感情とのつながり”。

私は予測不能じゃないし、突飛なことも苦手。
でも、“感じる力”は確かに私の中にある。

🫧 「苦手があっても、それでいい」って思えた

あさぎさんが言ってた。
「魅力タイプは、得意だけじゃなくて、
苦手も含めて全部でそのタイプなんだよ」って。

「じゃあ私は、子供タイプだけど感情を思い切り出すのは苦手です」って言っていいんだ。
学者タイプでも、アウトプットが苦手な私を隠さなくていいんだ。

それがわかったとき、初めて私は、
“自分の魅力”を人と比べるんじゃなく、受け入れてみようって思えた。

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