“何者かになる”を、いったん手放してみたら

心の記録

🌀 ずっと「何者かにならなきゃ」って思ってた

誰かに認められる自分。
すごいって言われる自分。
役に立つって思われる自分。

私はずっと、そんな“ちゃんとした自分像”を目指してた気がする。

それが“普通”だと思ってたし、
“何者かになる”ことで、安心したかったんだと思う。

🪞 でも、本当はずっと苦しかった

「何者かになる」ってさ、終わりがない。

一つ達成したら、また次。
誰かに評価されたら、「次も頑張らなきゃ」ってプレッシャー。

気づいたら、“本当の自分の気持ち”よりも
“理想の自分”を優先して動いてた。

🌿 創作してるときだけ、私は“今ここ”にいる

でも、創作に没頭してるときだけは違った。

誰かに見せるためじゃなくて、
ただ、自分の内側から湧いてくる“美しさ”を形にしたくて動いてる。

その時間は、“何者か”にならなくてよかった。
ただ、好きなものに触れて、好きなものを作ってるだけだった。

💫 “何者か”にならなくても、私はここにいる

私の“価値”って、実績とか数字とかじゃない。

朝起きて、今日を生きて、
心が動く瞬間を大切にしてるだけでも、
十分ここに“存在してる”。

“何者かになる”っていう肩書きの呪いを、ちょっとだけ外してみたら——
ずっとそばにあった「私の好き」が、ちゃんとそこにいた。

🕊️ ちゃんとじゃなくて、“今の私”でいい

昔は「ちゃんと書かないと」「誰かの役に立たないと」って思ってたブログ。
だからこそ、前は続かなかったのかもしれない。

今も「何書こう…」って悩むことはあるけど、
“ちゃんとしなきゃ”の枠を外したら、
昔の自分が書いた未完成なメモさえも「これネタになるじゃん」って思えたりする。

そうやって、緩く自分を見てあげられるって、
ちょっとだけ世界がやさしく見える魔法かもしれないなって思うんだ。

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