「わかってほしい」は、ただの甘えじゃなかった

心の記録

🧩「わかってほしい」よりも、「ちゃんとしなきゃ」が優先だった

昔の私は、“わかってほしい”なんて思ってなかった。
いや、思っちゃいけないって思ってた。
とにかく「できない=ダメ」だったから。

人に気持ちを話したところで、現実が変わるわけじゃないし、
どうにもならないなら言ったって仕方ない——ずっとそう思ってた。

🤐気にしてくれる人がいるのは、ありがたい。でも…

「なんで言ってくれないの?」って聞かれたこともある。
気にかけてくれるのは、ありがたい。
でも、誰かがどう思うかを気にしながら言葉を選ぶのは正直めんどくさかった。

ある人に言ったことがある。
「話したところでどうにもならないの、わかってるから話さない」って。

それは、自分の気持ちごと飲み込むクセでもあったんだと思う。

📚でも、本当は「わかってほしかった」

人に言っても意味がない。
そう思っていたはずなのに、
誰かが自分の気持ちを代弁してくれたとき、
心がふっと軽くなることが何度もあった。

「あ、私もそれ感じてた」
「言葉にできなかったけど、それだったんだ」
そうやって、自分の気持ちの解像度が上がっていく瞬間に、救われた。

✏️だから私も、書き続けてる

発信って、自分のためでもあるんだと思う。
“できない私”のまま書いてもいい場所があったから、
私は30記事も書き続けてこられた。

これは、かつての私に向けた手紙でもある。
そして、今どこかで同じように「話したって意味ない」と思ってる誰かに、
届いたらいいなっていう、願い。

🌱わかってほしい」を、自分に許せるようになった

“できない自分”を責めてたころ、
いちばん欲しかったのは、
「そのままで、ここにいていいよ」って言葉だったのかもしれない。

だから私はこれからも、
うまく話せなかった昨日も、
一人反省会でしんどかった気持ちも、
ぜんぶひっくるめて書いていく。

「わかってほしい」は、甘えじゃない。
“ここにいていい”と思いたい私の、大事な欲だった。

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